上古の神社はどんな形をしていたのですか

神社・神道とは

 言い伝えの域を出ませんが、『古事記』『日本書紀』によれば、神武(じんむ)天皇の東征後、数代の天皇は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の神鏡を皇居の中に祀(まつ)っていました。つまり、皇居が神宮であったことになります。そして、第十代崇神(すじん)天皇朝に初めて天照大御神を大和の笠縫邑(かさぬいむら)に祀り、皇居と神宮を分離させました。さらに、『古事記』では同朝期に「天神地祇(てんしんちぎ)の社を定め奉る」と記されていて、そのことから天神を祀る天社(あまつやしろ)と国神を祀る国社(くにつやしろ)が定められたことがわかります。
 神社の原形は、神さまが降臨すると考えられた木や岩の所に仮設された建築物と考えられますが、時代の進展とともに次第に「やしろ」「みや」などと呼ばれる常設の社殿が造られました。
 もちろん、それには集団組織が必要であり、力のある豪族などが自分たちの氏神(うじがみ)を祀るために造ったと考えられます。最も力のあった天皇の社として、神宮が最初期に社殿を整えたのは当然のことといえるでしょう。